大学生の自分が考えるアルバイトの必要性

最初はやっぱり大手のマニュアルがしっかりしてそうなところでバイトすべき。社会に出たとき役にたちそうだし。でも大手チェーンの居酒屋落ちる~。

 

ダメだ、予想外。もうこんな私を雇ってくれるところはないのかもしれない。そんなとき商店街でみつけた焼き鳥やさん。ここが初めてのバイトでよかったと思う。

 

ビビリまくる私にしっかりと接客たるものを教えてくれた。マニュアルがないから自ら進んで先輩の背中を見て学んだ。最初は怖いと思っていたパートのおばさんもすごくいい人だし、ミスをしても怒ったりせず、きちんとアドバイスをして叱ってくれた。お客様に呼ばれなくても、グラスが空きそうだったら自分から進んで声をかけ、メニューを眺めているお客さんがいればいつでも声をかけやすいようにさりげなく横を通ったりした。仕事の効率を考える前にまずはお客さんを第一に考えた。それで商売が続くのだと店長はいつも言っていた。やむ終えず遅刻する時や病気になったときに無理を言われることもなかった。私はこのバイト先が好きだ。

 

だけど好きだから、恩があるから我慢することとは違う。そこで接客の基礎を学ぶことは私の将来に役にたつかもしれないが、ここでの専門的な仕事をできるようになったからって、私が将来ここで正式に雇ってもらえるわけではない。

 

ある人が言っていた。やりたくないことすら切り捨てられない人が、まして自分のやりたいことなどできるはずがない。本当にその通りだと思う。

 

やっぱり一度テストを理由として大きな休みをもらおう。私にはしたいことがまだまだたくさんあったはずじゃなかったのか。そのためにはお金も必要だけど、人生最大に自分の人生を考えられる時期に、そんなことで出費を渋るのは返ってもったいないことなのではないだろうか。ここでの出費を渋るというのは不必要なものにまでお金を遣うという意味ではなく、必要なものには惜しまずお金を遣うということだ。

 

 

そんな私はかつてスターバックスの店員などにも憧れたものだ。また大手への夢を叶えるべく、某有名な映画館でバイトをしたこともあった。なかなか難関といわれる面接にも合格し、また(自称)一番エリートだとされる部署に配属された。覚えることはたくさんあったけど、できるようになっていく自分に達成感か優越感を感じた。しかしそう長くは続かなかった。やめた原因はシフトだったけど、私にはそれ以外の理由があった。マニュアル仕事はそもそも私に向いていなかったのかもしれない。映画館という性質上、上映直前に来店されるお客様には迅速に対応しなければならなかった。しかしそこにはお客様を喜ばせるような接客は存在しなかった気がする。それになんといっても大都会の映画館にいってしまったためにそれはそれは膨大な人の数。そんなお客様を上映開始までに捌いてしまうには、一人一人のお客様に心からの笑顔であいさつしている余裕などなかった。これは私が本当にしたかった仕事だったのかな。そんな風に思うようになった。それこそ私がいくら映画館の専門的な仕事ができるようになったからって、わたしは映画館に就職するわけじゃあるまいし。そこで気づいた。私は何か一つのバイトを極めるようなことがしたいんじゃなくて、色々な職種を経験していく中で、どの仕事にも役立つようなジェネリックスキルを身につけたいのだな、と。

 

焼き鳥やはある程度の仕事は覚えてしまった。それはもちろん楽なのだけれど、やはり自分の成長には繋がらない。自分のしたいことをしよう。

 

そんな私がいましたい、と思っている職種は売り子です!というかもう初めてはいるのですが。友達がやってる姿をみて、ずっと憧れだった。キラキラ輝いている感じ。そう、私が求めていたのはこの感覚なのだヽ(*´∀`)ノ

 

売り子の仕事は単純明快。だけどその中にもやはり売れる売り子と売れない売り子の差はある。だけどそんなこと誰も教えてくれない。売上は自分の給料に直接関わってくる。てか初日なんか説明もそこそこにぶっつけ本番だったし。でもそれが楽しい。自分のなんでを追求したい気持ちを、仕事の能率なんかで先に教えられたりなんて面白くない。実際にこの眼で見て、実感して、あぁ、こういうことかもしれない、って自分で探り探り上達していく中でいつの間にかそれなりにできるようになっている自分でありたい!

 

 

すっきりした~。(笑)

でもこんなに時間を持て余している大学生のうちに、悔いのないくらいたくさんのお仕事しておきたいなぁ。と思ってみたりするほたるなのでした。おわり。